映画「書を捨てよ町へ出よう」(寺山修司監督)
美輪明宏さんが出演され、偉才を放っている。
若さというやり場のないエネルギーが満ちあふれたいわゆる実験映画。
寺山修司さんが初めて監督した1971年の長編映画。当時の社会を映し出している。
また、時代を突き動かす空気というもの。それが、ある意味で個人を追い込んでいくものであるということを否応にも感じてしまう作品だ。(だから、疲れる作品。)
そして、当時の東京の空気を感じることができる作品。
映画の中身について言えば、
「ひょっとすると、この映画に登場する時代の空気は、その次の時代に、”しらけるということ”を身につけさえたのかもしれない。」
(「しらけ世代」は、この時代の青臭い理屈の無意味さに対するアンチテーゼが生んだのではないか。)
例えば、学生時代の部活など、学校の先輩から受ける様々な影響は案外に理不尽なもので、その影響は一時的には避けられない。(もっと上の世代なら全く違うアドバイスをするだろうに、ちょっと年上の先輩(まだ子供)が、聞くに堪えない青臭い説教を、少し年下の後輩(同じような子供)にしたりしている。これはいつの時代も同じである。)
当時の青年たちは、「戦争に負けた大人たち」を小馬鹿にしながら、「戦争に勝った敵国」にも反発している。
だから、この映画に漲っている「戦争に負けた国の苦しみ」の行き場がどこにもみつからない。
その自己矛盾こそが、青年どうしで空虚な理屈を言い合うエネルギーを生み出す源泉だったのかもしれない。
そういったことに対する反動が、その後の「しらけ」だったり、「ひょうきん」というかたちになっていたのではないか。(いいかえれば、1970年代の終わり~1980年代にかけての「ガラスのジェネレーション、さよならレボリューション」)
このような、そういう鬱屈した1970年頃の空気を、リアルなものにすることに成功させているのがロケ地としての東京だ。
おそらく、高田馬場とか池袋とかの近くだろうか。
都電が走っている。
映画の中のセリフが確かならば、主人公一家が住むアパートは「新宿区戸塚一丁目」あたり。
ロケ撮影のリアルな映像が、この実験映画に現実味を与えているのだ。
この映画、東京国際映画祭(2007年)の「映画が見た東京」で上映される。