映画「幸福な食卓」(小松隆志監督)
出演は、北乃きい、勝地涼、平岡祐太、さくら、羽場裕一、石田ゆり子、甲府湯田高等学校・日本航空学園・甲府市社会福祉協議会・甲府市老人クラブ・(社)甲府青年会議所、小山町小山中学校・静岡県立小山高等学校・都立府中西高等学校合唱部・フィルム微助人の皆さんほか。
原作は、瀬尾まいこ。
主題歌は、Mr.Childrenの「くるみ for the Film 幸福な食卓」
家族のありようは色々。一見同じように見える家族でも、それぞれの家族には、知らず知らずのうちに、他の家族とは違った感覚や習慣などが染みついているもの。
だから、映画の中原家の感覚や習慣についても、観客には、それを理解できる人、つまりよく分かる人と、ついていけない人、言い換えると、よく分からない人がいる。
多くのレビューを見ると、理解できる人が多数だが、ついていけない人も相当数いる。
家族というか家庭は、その構成メンバーの誰かが、特に父か母のどちらか一方が、本気で壊そうと思えば壊れるもの。
そういう意味では、家族は非常に脆い。
でも、この映画の家族一人一人は、この家庭をとことん壊そうとは思っていないようだから、どこかでまだ繋がっている。
中原家の場合、「父さんは、今日で父さんを辞めようと思う。」などというし、
母も近くのアパートに家出して別居し「遠くにいたほうが分かることがある、近くにいすぎると気づかない」とか、「家族のご飯はおかしなものは作れない」などといって、一人でアイデア料理を楽しんだりしている。
そのうえ、いい年した兄が、毎日ちゃんと堅苦しい朝食を当たり前のように、一緒にとっている。
こんなでも、中原家は、いちおう、繋がっている。
そのつながりを支えているのが、朝食をきちんととるという価値観の共有のようにもみえる。
ラストの頃のシーンで、母が白いお皿を、高級レストランのように、整然とおくシーンが印象的。
この家族の場合、朝の食卓はきちんとしていることが、おそらく大事なことなのだ。
だから、食卓には必ず、手間のかかったちゃんとした朝食が用意ができている。
毎日のことだから、窮屈に感じることもあるに違いないが、この家族はそういったことを拠り所にしているようで、あとは他人のように個室に籠もっている。
言い換えると、暮らしのなかに、ある掟をつくって、その価値を共有することで、バラバラなのをなんとか繋いでいるようにも見える。
だから、中原家の場合、食卓以外は、勝手気ままで、その許容範囲は広い。
家族それぞれ(主人公を除いて)は、相当にマイペースで、ともすると自己中心的でさえある。
どこか夏目漱石の「私の個人主義」でいう、自由の背後にある義務を果たしていないようであり、いや果たしているようにも見える。
また、皆がそれぞれナルシストな面があり、自分をどこかで美化しているので、それで微妙な均衡を保っているような感じである。
だから、そのナルシステックな「幸福な食卓」の家族、つまり、中原家の感覚に、「ついていけない観客」には、「この映画はどうもわけのわからないもの」に見えるし、セリフも「くさく」聞こえる。
そういう感覚の観客は、中原家の食卓からは湯気が立つのが想像できない。形だけのととのえた冷めたスープが思い浮かぶに違いない。
言い換えると、中原家は窮屈で暗く、それぞれが孤独で、その「幸福な食卓」を実感できないわけだ。
ちなみに、この映画の舞台は、地方都市のよくある分譲住宅で、中原家は、ちょっと前までよくあった子供二人の核家族だ。
この映画の中原家の様子を、相当多くのレビューが同感しているから、おそらく、こういう感覚で繋がっている家族が現在の日本には多いに違いない。
いいかえると、今の日本社会は想像以上に、漱石が危機感を持ったとされる、似せものの個人主義が浸透し、西欧の異文化を受け入れるために、昔からの日本的な感覚を麻痺させて大なり小なりナルシストになり、義務を果たさずに自由だけを主張する。
そういった自己中心的な社会になっているといえるのではないかとさえ、思えてしまうのである。
だから、「気づかないところで色々守られてる。」などという、ごく当たり前のセリフが、この映画では決めゼリフにも成り得るし、
学校で、クラスの皆が一緒に歌うようになる口実も、「内申書に響くから。」と、実に自己中心的なものだ。
それから、この映画には、「友だちや恋人はこれからいくらでも作れる。なんとかなる。でも家族の代わりはいないんだよ。」などという決めセリフもある。
現実の社会を見ると、本当の父と母は確かに一人しかいないが、血のつながりが無い家庭も存在するわけで、したがって、家族の構成メンバーが代わることはありうる。
また、友だちや恋人も本当に心を許せる人となると、いくらでも作れるわけではないだろう。
おそらく、中原家の様子は、幸せな家庭のある人(本当の孤独を知らない人)が、日常生活にそっと仕舞い込んだ個人的なわがままな欲望を映像として見せたものであり、幸せな観客が、それを垣間見て楽しむでいるような感じである。
なお、この映画では、手作りや苦労をしてお金を貯めることを良しとしていて、兄の彼女のつくるシュークリームには、いつも卵の殻が入っているし、わいわいと楽しそうなバイトではだめで、新聞配達で苦労したバイトでプレゼントは良しである。
つまり、この映画では、贈り物は手作りであることを良しとし、手作りであることが、心のこもっていることの証しになっている。
色々な面で、形而上的なものをよりどころにしたシナリオといえるだろう。
だから、この映画のレビューには、珍しいほど、中原家の様子に同感して「感動、すばらしい」と★5つ4つか、一方で、「クサイ、よくわかんない」と★が1つ2つか、極端に分かれている。
撮影協力は、
富士の国やまなしフィルムコミッション、小山町フィルムコミッション、甲府市、山梨ロケ支援隊、山梨県立甲府西高等学校、甲府商工会議所、小山町観光協会、(株)秀英予備校、韮崎市、都留市、市川三郷町一宮浅間神社、お好み焼き らくらく亭、富士急行(株)、(株)フレッシュネスバーガーなど。
特別協力は、ブリジストンサイクル、協賛は、TIGER。
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