映画「トウキョウソナタ」(黒沢清監督)
出演は香川照之、小泉今日子、役所広司、井之脇海、小柳友、井川遥、児島一哉、津田寛治ほか。
(小泉今日子は報知映画賞の主演女優賞、キネマ旬報の主演女優賞、山路ふみ子映画賞の女優賞を受賞)
脚本は黒沢清、田中幸子、マックス・マニックス(オーストラリア出身)。
エグゼクティブプロデューサーは小谷靖、マイケル・J・ワーナー(アメリカ)。
プロデューサーは木藤幸江、バウター・バレンドレクト(オーストラリア)。
製作は、製作投資からプロデュースまで行っているエンターテイメントファーム(ENTERTAINMENT FARM:日本の会社)、映画製作・セールス会社フォルテシモ(FORTISSIMO FILMS:オランダの会社)、博報堂DYメディアパートナーズ、ピックス。
カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞。
現代日本を映しだした家族の物語。
誰でも暮らしは、世界の社会・経済の動向、その生きている時代に影響を受けていて、それからのがれることは、できない。
社会との繋がりを象徴するモノの一つにネクタイと背広がある。
トウキョウソナタでリストラされたお父さん達は、そのネクタイと背広にこだわっている。
ネクタイをはずし、背広を脱ぎ捨てて、南の島でぼんやりしたり、高い山に登ってその山頂から街を見下ろせば、ちょっと気分が変わって、自分が立っている足元を客観的に見つめることができる。
いいかえると、一歩引いて、見ることができる。
それができると、案外、些細なことにこだわっている自分に気がついたりするのものだ。
だが、それも、生活に追われていると、気持ちが追い込まれて、現実的にはけっこう難しい。
また、誰でも、少なからず、多少なりとも、ささやかなプライドをもって暮らしている。
(ただ、この家族の父親のプライドは、自分自身に向かうのではなく、威厳という、やっかいなかたちとなって、そのエネルギーが他に向かっている。リストラで自信を無くしてもいる。)
で、ささやかなプライドを保つために、一時だけしか一緒にいない、所詮あかの他人に対しては、嘘でやり過ごすことがある。
限られた時間を過ごせば、やがて無関係になる。
そういうことなら、別に、あれこれと赤の他人に説明することはない。複雑な状況を説明するのは大変だし、いやな思いをせずにいられるし、変な誤解もされないですむ。
だが、この映画の場合、その嘘をつく相手は、一緒に暮らし食卓を共にしている家族である。
それゆえ、トウキョウソナタの家族は、お互いに心のどこかで、「所詮他人」などと思っている部分がある。
そして、現代日本には、無意識のうちに「所詮他人」のように接している家族が普通にある。
この映画は、それを映像で、ドキュメンタリーのように映しだしている。
だから、この映画はホラー映画のように怖い。
そして、人が嘘をつけば、それは見透かされる恐怖と、常に隣り合わせ。
だから、よりいっそう恐い。
ホラー映画が怖いのは、気味悪い映像もさることながら、心理描写によることが大きいことを、ホラーでない、この作品を見れば実感できる。
でも、ラストシーン、トウキョウソナタの家族には希望がある。
いろいろあっても、それでも寄り添っていられるのは、まだ互いに信用しあえる何かが残っているからで、ラストシーンのピアノの調べは、そういった、一つの苦難を乗り越えた、やすらかさがある。
(ラストシーンのピアノの音色に、、黒沢清監督は希望を託しているそうだ。)
エンドロールには、ラストシーンの音が、そのまま流れていて、なんとも心地いい。
ロケ地は東京とその近郊(千葉と神奈川)。
東京の実景が映っている。
(東京タワーなどのあからさまな東京ではなく、いろいろな要素が混在したゴチャゴチャした東京。)
写真付きで、こちらのブログに詳しく掲載されている。
佐々木家の室内はセット。(冒頭シーンは家の中。柱の一部など、いろいろ映っている。天井のあるセット)
佐々木家の外観は、井の頭線沿線の家。
ピアノ教室の家は西葛西にある家。(半オープンスペース。一日で撮影したという。)
食事を配給してくれる公園は、品川の海岸の公園。
就職活動でカラオケを歌えといわれるシーンは、新宿にある高層ビルの部屋。
ロケーション協力は、
東京芸術大学、YAMAHA、MORITOWN、TANITA、PEUGEOT、イオンモール富津、南房総市、富浦町漁業協同組合、日産プリンス東京販売(株)文京店、東京都水道局、東京都北区、湘南藤沢フィルムコミッション、台東区フィルムコミッション、千葉県フィルムコミッション、東京エキストラNOTES。
ちなみに、車の中のシーンはスタジオ撮影。ラストシーン(ピアノのシーン)は特撮で、合成された映像。
最近のコメント